熊野古道の旅ー10.色川辻、亡者の出会いから地蔵茶屋跡へ

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舟見峠をすぎると急な石段の下りだ。せっかく登ったのに下りたくない。下ったらまたその分登らないと
いけないからだ。下りの道は腰によくない。横揺れしないようゆっくりおりよう。
下の方からすごい気配がする。
しばらくすると一人の青年がブルドーザーのように登ってきた。我々とは断然迫力が違う。
「こんにちは」と声をかけあいながら見る見る消えていった。
「登りであのスピードやから下りはどんなんやろ」そう言えば今日この山道で出会った最初の人だ。
同じ宿に泊まっていたグループも大雲取越えをすると聞いたし、普通ならかなりの登山者があるはずだが
追い越して行く人も今のところいない。我々のペースは決して速いわけではないから不思議だ。
路はぐんぐん下って行く。下るにつれてだんだん暗くなってきた。
この道は昔、後鳥羽上皇が何度か御幸されたことがあって、有名な歌人の藤原定家が「明月記」という
日記にその下りを書いている。神坂次郎と言う人の「藤原定家の熊野御幸」という本を読むと、定家が
ぶつぶつと文句をいいながら天衣無縫の上皇に振り回されて走り回っている様子が実の面白く書かれていて
一度は熊野古道を歩いて見たいと動機付けられた一因でもある。
この日はどしゃぶりだったそうだ。ずぶ濡れになりながら険しい山道を輿に乗せられ振り落とされそうなのを
必死でしがみついて堪えていたのだそうだ。えらいめにあいながらも、どんないきなりでも上皇に召されて
「歌を詠め」と命じられれば即座に歴史に残るような歌をひねりだせるのだかすごいものだ。
山道はどんどん下る。まわりが黄色っぽくなってきた。
小さな社があって燈明がともされているのだ。路傍の石仏が急に多くなってきた。
鈍感な私でも異様とも思える雰囲気だ。
「色川辻あたりに来たのかな?」
南方熊楠もこのあたりでダルにとり付かれたと聞いたことがある。
「亡者の出会い」とも言われて死んだ人とよく出会うところだそうだ。
昔は蛭が木の上からぼたぼた落ちて来たというが、今は山が乾いて蛭の気配もない。そう言えば、昔、
大峰山によく登ったが、大峰さんももっと以前は蛭がぼたぼた落ちて来たのだそうだ。戦後の伐採で木が減り
山がかわいてしまった。
その分、紀州の霊山も霊気がずいぶん少なくなってしまったのだと思う。
信じる信じないは別にしてスピリチュアルなパワースポットは無くならない方がいい。
小川の流れに沿って、右岸にいったり左岸にいったりしながらしばらく進むと「不動明王」の石仏があった。
「これはいい」
拙い画では印象を現せていないが、実に単純で素朴な造形ながら、実に味があるお姿だ。
小さいながらも存在感がある。
友人が覚えていた、不動明王の御真言をとなえてお願いをしよう。

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壊れかけた橋を渡ると林道にでる。林道を横切ってまた古道に入り、しばらく登る。
この間にこんどは後ろから来た若者に追い越された。
山歩きというよりは走っているようだ。ひゅーと通り過ぎていった。
又登って、登って行くと再び林道に出た。ここからはしばらく林道を歩く。
古道はかなりの長さで崩れているらしく林道歩きが長い。
古道歩きの雰囲気には浸れないが舗装道路をてくてくと歩くのは楽だ。
道標の16番が過ぎて、地蔵茶屋跡が見えた。
「昼飯にしよう」

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