熊野古道、小辺路歩き、リベンジ編−10、三田谷橋、五百瀬へ。

熊野古道は欧米人が思ってるような巡礼的な道とはちょっと違うような気がするけど よう考えたらそれほど違わへんのかもしれん。昔から、高野山と本宮大社を結ぶ、熊野詣の 道やったんやし、修験者が駆け回った熊野の修行場の一部でもあった。そやから、 歩いてたら霊気に打たれるというほどではないにしても深い山林の中にいて、木の間隠れ に見えるのも山又山の景色を見てたらそれなりに心が洗われるような気がしないでもない。 しかし、今年の場合は暑さがコタえるのかそういう気分がちと薄いような気もする。

それでもこの道を歩いていると道端にふとお地蔵さんを見かける事が多い。こういうのを 見るとやっぱり厳粛な気分になる。ハーハーゼイゼイと余裕はなくても気持ちだけでも 手を合わせて道中の無事を祈ろう。 路端の地蔵って大好きだ。古くて摩滅したのが歴史を感じさせてとてもいい。 それと、この道にはあちこちに屋敷跡、宿屋跡、茶屋跡というのが見られる。熊野古道と 言うのは紀州南部の町、村と近畿の都市を結ぶ主要な街道の1つやったのだ。今でこそ 海抜の低いところに比較的平坦なコンクリートの道路網が整備されていて車は通るし バスも通るで交通の便は隔世の感で変革されてしまってるけど、昔は、山の尾根を 結ぶ山岳道路が、しんどくはあっても最短で最も便利な交通手段であったのだ。 そやからその交通路は人々がひしめき合っていたらしいのだ。そうなれば、宿が要る、 飯屋が要る、お茶屋が要る、いろんな必要が生じて、街道は殷賑を極めていた 時代があったのだそうだ。しかし、平坦な地にトンネルと道路が建設されるにつれて この街道は急速に廃れていったらしい。

それでも昭和の中頃まで残っていた家もあるらしい。 そういう栄華の跡が今でも石垣の間から垣間見られるのだ。

感慨にふけってもしんどさは無くならへんし、足指の痛みも消えて行かへん。 上西家跡を過ぎたあたりから道は急に険しくなってきた。下りとはいえ、石段や岩の道が 延々と続くと急速に疲労してくる。しかも、わかってたことやけど途中から上り坂になる。 それも急な登りが果てしなく続くと思われるほど、峠道の荒ぶれた道を延々と登る。 そんな大層なはずはないんやけど歩いてるときはもう堪忍してくれと言いたくなる 気分だ。 ゼーゼーハーハーと息を切らして登りきったら「待平」というこれも昔の屋敷跡らしい。

やれやれここで一休み。 もうフランス人の女性は影も形も見えへん。今宵の宿は違うとこらしいんで明日の 道中まで会う機会はなさそうだ。 さて、ここからは下りばっかり。一安心と思えども、下りやからといって楽とは 限らへん。

道標の跡何km、何時間の言葉にすがりつつ下る。 しんどいなあって思いつつも時間がたてば距離は稼げているんで、段々と下の暮らしの 気配がしてきた。明るくなってきたし、山が浅くなってる。工事のらしい音も聞こえている。 こうなったら少々元気も湧いてくる。 やっと橋が見えた。

三田谷橋だ。ここを下りきったらもう平地だ。

平地に出て驚いた。この日は、連日、何十年に一度という猛暑の真っ最中だった。 連日38度、39度、40度越えのニュースばっかりの頃だ。こんな山の中とは言え、 コンクリートの道路の上は発狂しそうなほど暑い。 どうしよう。 民宿まであと20分ほど歩かんとあかん。死んでしまいそうやで。 しかも着いてもこの暑さの中、エアコンはあるんやろか? 急に心配になってきた。 この時点ではもっと恐ろしい事が待ってるとはつゆしらずに。

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