時々大阪遊、街角史跡、北畠、「北畠顕家顕彰碑」を見た。

大阪でも、堺でも、九度山でも、普通に道を歩いてたら偶に何か史跡みたいなのに 出くわすことはよくあることだ。普通はそんなんがあっても気に留めることもなく とおりすぎる。通りすがりに何かいなとちらっと看板を見て、興味があったら見直して 見るくらいのことはある。さすがに京都や奈良やったらあるいてるうちに石碑なんか いくらでも出会って、それがつい最近本で読んだ、あるいはテレビでみた歴史ドラマの 舞台やったやんかなんてことにびっくりしたりする。 大阪、堺、九度山と昔の都、あるいは文化の中心地から離れていくにつれてそういう ものの数は極端に減っていくけど、注意深く見てたら行き当たることも多い。 この日は、最近名前が喧しくなってきたような気がするカレー屋さんを訪ねて 地下鉄西田辺駅から南港通を西に歩いてあびこ筋まで行った。無事美味いしく 食べ終わって表にでて今度は松虫通を通って帰ろうと北に向いたらすぐに公園が あった。 良うみたら、「北畠顕家の墓」と書いてある。南北朝のあの北畠やろか?

あんまり良う知らんなあと思いつつ中に入る。 看板を見てみる。

なるほどこういう人か。 南北朝時代の人だ。後醍醐天皇の下、奥州を治めていた。 足利尊氏の乱が起きた時に天皇の命をうけて大軍を率いて奥州から参戦、これをやっつけ、 九州へ追いやったということか。 すごいなあ。

それで一件落着して、又奥州へ帰ってるうちに南北朝の争いが起きて、楠木正成も 殺され、南朝方が大負けしてしまった。起死回生の為に顕家が再び参戦し、最初は よかったけど結局負けて、この地で殺されたということらしい。 なるほどこんなとこにも歴史があったんか? 北畠という地名はここから来たんやなってわかる。

時は流れて、今はこの木の陰でおっちゃんがのんびり昼寝してはる。 わしもつられてと思ったけど、ベンチ椅子は並んで寝るほど大きくない。 もう少し、北に行くと、左手に神社が見えた。 「阿倍王子」って書いてある。

ということは昔の熊野詣での街道拠点だったということで、この道が熊野街道で あったということか。不思議でもなんでもないけどなるほどそうだったんかと思う。 更にもうちょっと行けば「安倍晴明神社」もあるらしい。 結構歴史的な地域やんかと驚く。 因みに、このあたりにはもう一つ忘れられない昭和の遺跡がある。 何の指定もされてないけど、全く普通の銀行やけど、三菱銀行北畠支店と言うたら わしらの世代の人間にはあああれかとすぐに思い当たる。 梅川って男がこの銀行に行員を人質に立てこもったのだ。 しかも人質の女子行員を警察突撃の盾にするためと裸にするなど異様な行動をとる。 その間に、超高級ワイン、シャトー・マルゴー(ロマネ・コンティとばかり思ってた。 ぐぐって確認したら全然違う。人の記憶って実にええかげん。)の差し入れを要求するなど やけくその行動をするけど、キチガイに刃物、銃を持ってる んで難儀な事態に。わしは安サラリーマンやったから、そんな高級ワインがあるんやってその時始めて 知った。毎日、その近くの地下鉄で通勤しながら今日はどうなったんやろって 野次馬根性で注目してたけど3日かかってとうとう撃ち殺された。 そのころ、警察に特殊狙撃部隊なんかができて話題になってた時期やったと思う。 一時、梅川の生い立ちや事件の背景なんかが話題になったけど次第に消えていった。 まさか石碑をおくわけにはいかんやろけど、昭和の重要な遺跡の一つではないかと思った。

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